2015年9月3日木曜日

秋の空は

夏の後半は三重での時間を頂きました。

9月1日より東京で仕事しています。

早くも名刺の山状態だけど、その中で素敵な出会いもあった。

夏も終わって、雨続きの秋の空。

10月は一ヶ月お休みを頂き、三重で過ごします。

気持ちを切り替えて、精一杯の現場を頑張ります。

離れている人達もいつでも繋がっているし、
みんなが居る場所に僕は行く。

何度も書いて来ているけれど、一つの場は他の全ての場に通じていて、
深く入って行くとこれまであった全ての場が、みんなと共有されて行く。
ここが僕達の居る場所。誰一人欠けることなく、みんなが居る場所。
そういう言葉はなるべく使わないようにはしているが、魂の場所だ。
そこでみんなはいつまでも輝き続けている。

だからこそ、その実感をみんなが認識出来るような、
純度の高い場を創らなければならない。
一回の場はそれが最後になるかも知れないのだから。

色んな人に会って、色んなことがあった夏の時間。
三重のジャスコで買い物している時、ゆうたが玩具を見ると言うので一緒に。
乗り物の玩具を凄い集中力で見つめる。
純粋な眼差し。想像の中で玩具で遊んだりしている。
僕はパズルのコーナーをふと見ると、アニメのワンピースのやつが展示されていた。
その中に僕は知らなかったが、
モザイクアートというジャンルが存在するらしく、
沢山の写真を集めてその濃淡で一枚の絵になるように作られるものなのだろう。
ワンピースも見たことがないし、モザイクアートも知らなかったが、
そこにあったワンピースのモザイクアートのパズルに僕は感動した。
目が釘付けになって、その前に立ち尽くしていた。
アニメの無数の場面が一つ一つは鮮やかに一枚になっているが、
それらが集まって大きな一つの絵になっている。
主人公がニッコリ笑ってピースしている大きな絵。
ああ、そうこの景色は場だな、そうこれのことだよね、と思った。
一体になるという言葉をあまり好きでないのは、
その中で一つ一つの固有の輝きが曖昧になり溶けてしまうからだ。
それは眠りに近く、あるいは煮物のようで、場は決してそんなものではない。
むしろそれぞれの断片はかつて無い程、活き活きと輝いて動き出してこそ、
場だと言えると思っている。
だからそのパズルの情景は現場そのもの、人生そのものとも思う。
全体で一つの絵になっているのに、集まっている断片それぞれも、
そのまま一つ一つの景色として存在している。
喜怒哀楽、良いも悪いもみんなあって、これまで起きた全部があって、
それを同時に輝かせている一枚。
全部を入れた景色が笑顔でピースと言うのも本当だ。

みんな居るよ。みんなここに。
世界の全てがここにあるよ。
どんなことも、ここから見れば、素晴らしい何かなのだと。
だから一緒にこの世界を見て行こう。
だからみんな大丈夫。
降り積もる雪のように、音もたてずに満ちて行く実感。
何もかもが過ぎ去って、なにもかもがここにある。
音楽のように見えないけれど存在する調和の律動。

さあ、見に行こう。さあ、生きよう。全身全霊で。

良い時間を。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。