2015年11月20日金曜日

これから三重です。

ブログの更新を予定していたのですが、
腹痛で少し倒れてしまいました。
絶食してひたすら寝たので今は回復しました。

これから三重へ向かいます。
10日程ですが。

また12月にお会いしましょう。

12月はイベントがいくつか入っているので、
終わりまで東京に居る予定です。

宜しくお願いします。

2015年11月17日火曜日

優しい雨

静かな一日だった。

生温い。曇り空に時々光が射した。
夕方からぽつりぽつりと降り出して来た。

思い出話を沢山書いて来た、と思う。
昔のことはやめておこうと思いながらもついつい。

過去が強烈だったということでもある。

でも、最近、ずっと現場に立って来たことと、
人生で色んなことをいっぱいやってきたことを、本当に良かったと感じる。

人が生きて行くということは、多くのことに振り向かないということでもある。
場に立つということは、そんな一つ一つを見据えて噛み締めることだ。

無数の記憶に囲まれ、それら一つ一つが語りかけて来る。
時に胸が張り裂けそうな程、美しく悲しい記憶。

自分の経験だけではない、場の中で出会ってきた人達の経験や、
映画で見た場面や、本で読んだ景色、
今となっては全部同じように生々しく迫って来る。

今は恐ろしいことが進んでいると思うし、
個人の力では到底、太刀打ち出来ない。
僕には一つの現場に魂を注ぎ込むことくらいしかやれることは無い。

ただ、命ある限り、全力を尽くすこと。
そして、沢山見て、経験して、感じて行くこと。
どれだけ見て来たかが大切だ。
見たもの、感じたもの、経験したものが、認識を深めてくれる。

認識の深みの中で人は最後のものを見る。
それこそが生まれて来た意味であり、この世界の素晴らしさだ。

この世がどんなに悲惨で救いようの無いものになろうとも、
それら全てを超えて、全てを包んで輝くもの。

一枚の美しい絵を見るように、この世界の全てが見えて来る。
その光景を前に、僕達は生きて来て、産まれて来て、
みんなと出会えたこと、この世界にいることに、
深い感謝の想いと喜びに満たされるだろう。

僕達はずっとここに居たし、これからもここにいる。

2015年11月16日月曜日

枯葉

私的な話題で申し訳ないけど、今日は悠太の誕生日。
4歳になった。あれから4年経ったのかあ。
誕生日、一緒に過ごしたかったけど、東京での仕事がまだ残っている。

時の過ぎ去るスピードは加速して行くばかり。

土、日曜日のアトリエは素晴らしかった。
作品も場も美しかった。日曜日の静かな陽射しも。みんなの笑顔も。

僕の感度は落ちているが、皆のお陰と、そして場が助けてくれるから、
本当に良い時間になって、惚れ惚れするくらいだった。

若い頃お世話になった共働学舎の収穫祭が東中野で行われた。
アトリエが終わってから、皆に会いに行って来た。
しばし楽しい時間。かつての仲間達。
ずっとずっと大好きだし、本当に感謝している。
でも見解の違いは確認する。
僕は自分の道を歩いて行く。これからも。

駆け抜けるように何もかもが通り過ぎて行く。

スピードにのり、疾走しながら流れ流れる景色達。
きらめくような瞬間の数々。

ちらちらと枯葉が舞う。
空は高く遠くへ。夜は長く。

もうすぐ冬だ。
それぞれの季節。それぞれの時間。
どんな時も大切に生きて行こう。

2015年11月13日金曜日

遥かな深み

冬へ向かってどんどん寒くなる。
東京は暖房どうしようかな。そもそも少し片付けないと。
この部屋も寒くなって来た。

みんなが来るアトリエ部分は暖房で暖められるから大丈夫だけど。

それにしてもすぐに12月になってしまう。

2011年からずいぶん語って来た。書いて来た。
場の深みの中から見えて来るダウン症の人たちの在り方について。
あるいは場から見た人や社会や世界について。
場については結局どれだけ書いても書き尽くせない。
それは始めから分かっていたことだけど、
書くことによって明らかになって来たことも多い。

場と言うものがなければ、人にも世界にも出会うことはなかった。
本当にそう実感する。

場と言うものに出会う前の話をしよう。
原風景はそこにある。全ての始まり。

小さな頃の僕は様々な困難を抱えた人達と共にあった。
過酷な環境だった。
自然に覚えて行ったのは、勝負の感覚。
勝負と言うのは一つ一つの場面において、リスクを負って賭けるということ。
それによって何かを獲得すること。
言い換えれば、当たり前に自明に物事は存在していない、と言う自覚。
あるいは受け身でいて、誰かや何かが助けてくれるという思い込み、
甘さを捨て去ること。

目の前の人が偏見を抱いてこちらを見て来る、
あるいは悪意を持って見つめられる。
僕もそして僕の知る人達もそれは日常だった。
その時にどうするべきか、戦っても無駄なことは早い段階で気がつく。
方法は一つしか無い、相手の認識の隙をつく、
見解を揺るがし、ちょっとでも違う角度から見える景色に連れて行く。
そのために、間合いを合わせたり外したりする。
タイミングとセンス、リズム感がものを言う。
険悪なムードの中で一瞬にして笑いが起きる。
そうやって人が自分達を見つめる目線を変えて行く。
認識を深めてもらう。

関係が世界を変えてしまうことくらいはすぐにつかんで行った。
いい人も悪い人もいなくて、良さや悪さが現れる環境や関係があるだけ。
だから変化を自覚出来ていれば、どんな状況でも改善のすべはある。
能で言うところの離見の見みたいなのは自然に身につけざるを得なかった。
舞台の上に立つ感覚だ。
今日の条件、人数、それぞれの性質を見て行く。
さて、どう振る舞い、自分をどのポジションにおいてどう動かして行くか。
どうすれば、みんなが喜んでくれるか、気持ち良くなってくれるか。
その中で否定されそうな人、排除されそうな人がいれば、
どうすればその人が認められて行くか、を配置する。
見せ方を考える。可愛さを見せるか、面白さを見せるか、凄さを見せるか。
それぞれの瞬間において無数の方向性があり得る。

これを教えてくれた人達もいたが、ここでは書けないような立場の人達だ。

これが最初の地点だ。

障害を持つと言われる人達との出会いで、
この認識は場と言う概念にまで発展した。
一人一人の心の奥にどんな世界があるのか、
それは外へ現れていない部分がほとんどで、関係によって初めて見えて来た。
それまでは一人一人のが喜んでくれるところがゴールだったが、
そこから先は場の喜びとか、場面の美しさ、というより大きなことが見えて来る。
場自体が作品として美しいか、ということを追求し始めた。
やがて最高の場、最上の空間、を実現出来るまでになった。
途轍もなく美しく深い情景を共有出来るようになった。

人の本質や、更には生きている上での意味や幸せについて、
追求せざるを得なくなった。
最も極端な例で言えば、もう何をしてもこの世の中では、
救われない状況にいる人達にも沢山出会って来た。
だからより深く見て行くこと、この世を超える程の深さまで見ることが必要だった。

途轍もない深みから共感が生まれた時、
その認識の中で、ここに来ることが出来たのだから、
この景色を見れたのだから、僕達はみんな存在していて良かった、
というところまで行くことが出来た。それが最後のものだ。
同じ場に立った人達が人生最上の経験とまで言ってくれるようになった。
一番大切な一番美しい瞬間と言った人もいる。
見たことがなかったものだと、見てみたかったものだとも。
最高のものがそこにあった。命を持った存在の醍醐味がそこにあった。
場が教えてくれた。場が見せてくれた。場がここまで連れて来てくれた。
僕はようやく場の声を聴くことが出来た。

場の認識を深めて行くということは、この世界が夢として見えてくることであり、
全ては仮のもの、仮の姿であると言う自覚が生まれること。
沢山の人や人以外の無数の視点を同時に持ち、
様々な知覚と認識を行き来すること。
無数の時間と空間を同時に生きること。いくつもの生を生きること。
どこかからやって来て、どこかへ去って行く様々な現象を、
どこまでも明晰に、偏ることなく見つめていられることだ。

すべてはずっとずっとここにある。

制作の場において深く掘って行くと、
そこから自然に言語を超えた造形が生まれて来る。
そしてそこには調和と平和がある。

これが場におけるすべてだ。
何かイメージくらいは感じて頂けたらと思う。

繰り返し書いて来たことではあるけど、今日は真っ正面から書いてみた。

2015年11月12日木曜日

僕達が見て来たもの。

寒くなりました。

日曜日の場から始まり、良い時間が流れている。

場における一つ一つの場面をしみじみ振り返る時がある。
突然、ある時の情景が帰って来たりする。

現れては去って行く景色。行ったり来たり。
同じものが形を変えて何度も何度も。
あるいは螺旋の風に乗って運ばれているようだ。

身体と心の奥深くに刻まれたリズム。

制作の場が僕達に見せてくれる走馬灯のような景色。

いっぱいいっぱい見て来て、貰って来て、
やっぱりみんながこの場所に立てる時間を少しでも増やしたいと思う。

終わりが近づいているブログだけど、
この場所を伝えるために書いて来たのだなあ、と実感する。

僕達がいつも場に向かって深めて行った時に、
連れて行ってもらえる場所。

全ての時間が走馬灯のように流れて、そしてあたたかい愛があって、
包み込まれるような安心感があって、
何もかもが美しく輝いて見えて、誰のことも大好きになる場所。

場においていつでもそこまで辿り着こうとするし、
この人生においてもそれは同じなのだろう。

みんなと見て来たもの、今後も見て行くもの。
本当に幸せな気持ちになる。

2015年11月10日火曜日

感じてみよう

雨が続く。
そろそろ寒くなって来そう。

制作の場においても、人生においても、感じていることが大切。
いつでももっと沢山のことに気づきたいし、感じたいと思う。

僕達はいつでも変化の中にいる。

今何がどうなっているのか、まずは気づくこと。

場において、感じることを大切に出来たら、
感じたままに動けたら、みんなが嘘をつかずに、そう出来たら、
そこが最高の場になる。

場を感じる。変化を感じる。流れを感じる。相手を感じる。

僕達は互いに感じ合う。
そして心地良いリズムをバランスを見つける。
物事に、人に、そっと触れる。

大振りな動きは決してしない。やさしくそっと触れる。
丁寧に時間を重ねる。

感じるところから始まる。
感覚に従って、次にはその変化をまた感じながら進んで行く。

平和や調和は、気づきを重ねたところにある。

もう今ならはっきりとこんな言い方をしても許されるだろう。

場は愛だ。

2015年11月8日日曜日

夜のフィッシュマンズ

今日は雨のようだ。
静かで制作するには良い日かも。
本当に久しぶりに場に立ちます。
楽しみです。

昨日の髙橋源一郎さんとの対話は良かったですよ。
聞けた方はちょっと得したと思います。

個人的にも大好きな方なのでやり易かったです。
久しぶりの再会。
2人で話す時は子育てと家族の話ばっかり。

講義中、突っ込んで行こうとするばかりの僕に対し、
髙橋さんは分かり易い話に落ち着けて下さっていた。
かといって話を遮ること無く、自由にやらせて頂いた。

高橋源一郎という人が何故あんなに人気があるのか、
今さらながら理解出来た。
いつでも生活している視点から、生きていると言うナマの場から、
発言し、そこから決して逸れないこと。
今でも2人の子供を育てながら、その経験を一番土台にしていること。
そこから来るやさしさや穏やかさ。

悠太が小さな頃、抱っこしてくれたことを思い出した。
普段から接している方であることはすぐに分かった。
そういう部分に人の本質は現れて来る。

さてさて、場に帰って来たという実感。
数ではないのだけど、それでも今僕が場に入る回数を考えると、
現場の人間とは言えないと思っている。
だからちょっと違う立場から伝えて行かなければ、と思う。
ブログを終了させる理由の一つでもある。
ここでの言葉は現場の人間として書いて来た。
立場が変われば、違う伝え方が必要となる。

今出来る場の中で最高の時間を創って行きたい。

昨日の夜、一人になってフィッシュマンズを聴いていた。
本当に夢の中だ。
重力が消えて空に浮きながら、愛おしむように生きている世界を見つめている。
僕はこの世界観、好きだなあ。

今日も良い場を。
そして皆さんも良い日になりますように。

2015年11月6日金曜日

ほんのりあたたか

外仕事が続いていて、まだ現場に入っていない。
明日は久しぶりにモロちゃんにもお願いした。
アトリエをよく知るメンバーは本当に心強い。

髙橋源一郎さんとの対話。僕自身が楽しみだ。
体調は万全とは言えないけど、聞いて下さる方が良かったと思えるものにしたい。

それにしても瞬く間に時は過ぎて行く。
すぐに年末って。

纏まった時間がないので聴いてはいないけれど、
今でもチェリビダッケの生み出した音楽が鮮やかに浮かぶ。
手に触れられそうなほど鮮やかに。
様々な過去の情景が鮮明になぞられ、目の前で浮き彫りになって行くかのような。

今も、そしてあの時も、無数の時間と光景が目の前に見えてくる。

ここはいったいどこだろう。

全く何も分からない。
いつの間にかここにいて、そしてここは夢の中。
ただ、言えることはこの世界はどこまでも美しいということ。

土曜日、場には入れないけれど、みんなにとって良い時間になりますように。
日曜日は久しぶりに入らせて頂きますよ。

何処にいる人も、何をしている人も、みんな素敵な時間の中でありますように。


2015年11月4日水曜日

ある小さな記憶に。

今日は大事な打ち合わせが2つ。
明日と明後日はラッシュジャパンさんの社内イベントに、
気まぐれ商店として参加させて頂く。
そして、土曜日は明治学院大学で高橋源一郎さんとお話しする。

12月も3回程、トークします。

ぼーっとしている時間にふと思い出した記憶。
保育園の頃からずっと2人だったK。
この記憶もKが関わっている。

僕らが子供の頃、一番良く遊んだのが、まあちゃんだった。
まあちゃんは僕らより一つ年上で、最初は上のクラスまで遊びに行っていた。
ところが、次の年には同じ組になって、
その次の年には一つ下の組になっていた。
子供時代はそんなことにあんまり拘らなかったから、
なんでだろうとも考えた記憶は無い。
Kも僕もまあちゃんと居るのが楽しかった。
遊び方が似ているのもあった。
まあちゃんは知的障害を持っていた。

記憶とは不思議なものだと思う。
いつの間にか僕はまあちゃんの存在自体をすっかり忘れてしまった。
まあちゃん自身もどこかへ消えてしまった。
いつ居なくなったのかさえ覚えていない。

それからいくつかの夏が過ぎて行った。
相変わらずKと遊び回っていた。
ある日突然、Kが僕に言った。まあちゃんのことを覚えているか、と。
ああ、そうだったまあちゃんっていたんだ。
あんなに仲が良かったのに。
Kは続けた。
やっとまあちゃんの居場所を見つけた、と。
え、ずっと探してたのか。

とにかく、今度遊びに行こう。

Kの話によれば、まあちゃんは僕らの共通の友人の兄だった。
障害があるので、人に知られないよう家から出ないようにしている、という。
内緒だよ、とその共通の友人が打ち明けたそうだ。

まあちゃんの家に大人が居ないと言う日を狙って、
僕ら3人は遊びに行った。

まあちゃんの部屋は2階にあった。
そこでの再会は忘れられない。

僕らは何も変わったことが無かったかのように遊んだ。

Kはやっぱり凄いヤツだと思った。

僕らはその時間をずっとずっと秘密にした。

そしてまたいくつかの夏が過ぎて行く中で、
秘密もまあちゃんも記憶から消えて行った。
今度はKも思い出さなかった。

まあちゃんのことをもう一度、思い出した。
30年ぶりに。

木漏れ日の中で。
それでも、あの頃と何も変わっていないのだ、という感覚もある。
緩やかな風が吹いて緑の葉っぱを揺らした。
今日と言う日のこともまた何度も思い出すだろう。
そう思いながら外を歩いた。

あの頃の夏は無限のように、時間が静止ているようだった。
Kも僕も、まあちゃんも今もあの時間に居て、
僕はあの3人を微笑ましく見つめていた。

また遊ぼうね。

2015年11月3日火曜日

成瀬巳喜男とチェリビダッケ

今日は一転、良い天気で暖かかった。

早くも三重での時間を思い出す。
悠太を連れて伊勢の病院へ何度か向かった時。
車で聴いていたアンバートンのささやくような歌声。
伊勢神宮の裏の深い森。
舞果を抱いていた感触。

場が何故大切なのかと言うと、
そこでは凝縮した形で人生や世界の本質に触れることが出来るからだ。
普段の僕達は物事の断片しか見ていないし、
見えているのは表層の部分だけだ。
本質と言うのはもっと奥にあって、
そこから見ることが出来れば認識は全く別のものとなる。

何度もその経験について書いて来たが、
制作の場では終わりから始める感覚がとても大切だ。
てる君とのあの特別な時間においてもそうだったが、
ある時、絶対的な安心感に包まれる。
全ては今進行しているのに、もう全てが終わっていて、
回想するように見つめている感覚。

何もかもがそこにあって、何もかもが完璧で、
動いているのに静止しているかのような時間。

チェリビダッケの音源を聴いた。
改めてこの指揮者は特別なのだと実感。
生命も宇宙も、この世界の全てが明晰に見えてしまうような場面がある。
それを見せられる人はほんの僅かだ。

チェリビダッケは魔法のようにそれが出来てしまう。
チェリビダッケについては、評論家の許光俊が最も深くその本質を語りきっている。
それ以上付け足すことは何も無い。
それでもあの途轍もない魔法を見せられてしまうと、
感動を語りたくもなって来る。

スウェーデン放送響とのライブ録音で、
チャイコフスキーとショスタコーヴィッチを聴いた。
驚くことに音楽は鳴り響きながら全く静止している。
最初から最後まで全体が克明に見えて来る。
全ては決まっていて、完璧にその場に存在している。
この世界の真実の姿が目の前であらわになる。

恐ろしい程、見えてしまう。
克明に明晰にその場に姿が刻まれていく。
始まりも終わりも無いかのように。ただただそのものがある。

成瀬巳喜男のどこからどこまでも完璧な「流れる」という映画のようだ。
2人共、何もかもが見えてしまう地点を描いている。

そこは全ての果てであると同時に今ここでもある。

絶対的な安心感に包まれて、全てがここにある。
みんなここに居る。

場において、表層に現れているものから、
奥へ奥へとその本質に入って行った時に見えてくる世界と同じだ。

幸せな景色の中に一緒に行きましょう。
みんなで。

2015年11月2日月曜日

誰でもないところからの眺め

1、3週日曜午後クラスの方達から、お祝いを頂きました。
本当に有り難うございます。

今日は寒い一日。

前回の夢、幻の感覚の続きを書く。
夢のような見え方で全てが映ってくる、
と言うのはお能が言う幽玄のような境地かも知れない。

このブログで一番多く語って来たのは場のことだろう。
未だ触れていない話もあるのだけど、それはいつか何らかの形でと思う。

ダウン症の人達の持つ世界観を伝えて行く、という仕事が一方である。
今後はこちらの方が中心になるだろう。

彼らの世界と言うのと、場と言うのは重なるところが多いが、
それぞれが単独でも存在している。
ダウン症の人達に固有の世界があって、そこから人間の根源を考えることが出来る。
場と言うのは、その性質が最大限に引き出される何ものかだ。

場というのは一人一人の本質が浮かび上がり、お互いを活かす次元。

僕が初めて場に出会い、場を自覚したのはダウン症の人達に出会う以前のこと。
でも、きっかけは障害を持つと言われる人達と共に過ごした時間だった。

本当に遠いところまでやってきた。
場を知った時から、教えてくれる先生は誰もいなくなった。
たった一人で足跡の無い道を歩くしかなかった。
場においては誰よりも先まで歩いた。
誰も見たことの無い場所まで行って、誰も見たことの無い景色を見た。

ここでも誤解を恐れず、率直に言えば、
このようなことを生業としている人間の中では、
一番深いところにいると自覚している。そこに関しては客観視もしている。
誰もここまで来なかったし、残念なことに今後もそういう人は出て来ないだろう。

違うジャンルにおいてはもっと先まで見ている方が多くおられるが。

以前は見解の浅さに反発を覚えた業界も、今では何とも思わなくなった。
もともと関係のない世界だったと気がついたから。
僕らの場は福祉的な視点とは無関係だし、
かといって言うところの芸術というのともちょっと違う。
ただ人間とは何か、生命とは何か、という本質的なところから場を見て来た。

アウトサイダー?アール・ブリュット?
アートセラピー?
それらの概念が何をさしているのかも定かではないし、
本質に関わる議論が出来るとも思えない。

場とはそんなものではない。
あえて言えばもっと普遍的なもの。

ちょっと横道に逸れてしまった。

場において僕らは対象を変えようとはしない。
むしろ対象に応じて自分を変えて行く。
相手の見え方をなぞって行く。
そうすることで、自分自身の知覚は変化して行く。
見える世界も変わって行く。
今まで自分が見て来たものを実体化していてはそんなことは出来ない。
少しでも場を続ければ、自分など存在しないことに気がつくし、
見えている世界もすぐに変わって行く。
苦しんでいる人が居たとしよう。
その人を少しでも楽にさせたかったら、
その人に現れている苦しみをもっと深いところから捉えて、
別の場所に立ってみる見え方まで運べなければならない。
だから、場において自分の感情も人の感情も、
現れているものの奥にある動きを見る。
そうやって変化の扱い方を知って行くと、
人間の姿自体が仮のものであるという感覚になって行く。

無数の人々の心を行き来し、同時になぞる。
一生という言い方があるが、場を生きる以上は無数の生をなぞることになる。
もはや自分が誰なのか分かるはずが無い。

最近、「誰でもないところからの眺め」というマンガを読んだ。
震災によって人の心が崩れて行く、とう悲劇がテーマの一つであるには違いないが、
それ以上にもっと本質的に自分とか心とは何なのか、というテーマがメイン。
登場人物達は気がつかないうちに、自分の世界を失って行く。
見える景色も変わり、意思すら失われ、どこかへ連れられて行く。
感覚的にはこれは場に近い。
勿論、場には悲劇性は無いが。

モネの色と光のところでも書いたが、
本当はこの世界には区切りと言うもの、境界と言うものが存在しない。
どこまでが何なのか、本当は分けられない。

そういう見え方が深まってくるにしたがって、
夢のような感覚が強くなって行く。
どこかからやって来てどこかへ去って行く幻たち。

夢だからこそ鮮やかに輝き、懐かしい光が射している。
沢山の場を創ってくれた人達。共有してくれた人達。
一緒に生きてくれた人達。見せてくれている人達に感謝と、
そして切ないくらいの愛情を感じる。
誰でもないところからの眺めは、どこまでも美しい。


2015年11月1日日曜日

夢の中で

皆さんこんにちは。
東京へ戻りました。
一ヶ月以上空けてしまいましたが、ご理解とご協力を有り難うございます。

舞果が産まれて、家族で幸せな時間でした。
子供2人を抱えてよし子一人で心配ですが、まずは東京の仕事に戻ります。

三重では家事育児の中で生活のリズムと充実感を味わった。
病院まで車を運転して一時間。日常の買い物をするにも12キロは走る。
その分、環境は素晴らしい。
生きていること、生活していること、その中に全てがある。

この11月、12月はいくつかの場所でトークする企画が入っている。
来客も多く、一期一会の出会いに真剣に向き合いたい。

現場に関して、イサ達が頑張ってくれていて、良い作品が生まれている。
イサも何かをつかんだのではないか。
前回までと質的に変わって来ている。

時間をかけて色んなことが前へ進んでいる。

このブログを12月で区切るのも一つのけじめでもある。
すべては変化して行くのだから、留まっていてはいけないと思う。

夢を見た。
袂を分かつ結果となった人と、再会し和解した夢。
夢の中で、ああ、これは夢だけど本当だなあ、と思っていた。

場というものとずっと向き合って来たからだろうか。
最近、増々全ては夢なのだ、という実感がある。
確固とした現実、不動の実体など何処にも無い。
たくさんのものと、景色と出会うけれど、経験して行くけれど、
全ては現れては去って行く幻のような柔らかな何かで、
ここは夢の中なのだと感じる。

幻なのだけど、夢なのだけど、それはどこまでも鮮やかで活き活きとしている。
それはどこまでも美しい。

夢の中で僕らは舞い続ける。友枝喜久夫の能のように。

舞果、自分で考えた名前では無いけど、良い名前かも。

夢の中で柔らかく舞う。場という儚い美も、
夢だからこそ、何よりも大切だと思う。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。