2015年12月10日木曜日

「夢」「予感」「回帰」そして「終わり」を見ること

今日は寒いですねえ。
ジャンパー着て書いています。

色んな人に会うけど、本当に大変な時代に入っているのだと思う。
求めている気持ちも切実なものとなっている。

だから、もういい加減なものへは構ってはいられなくなるのではないか。

もっとも僕達からすれば、ずっと場と言うものに向き合って来て、
そこには人間の本質的なものが現れているから、
一瞬たりと簡単な場面は無い。
困難と向き合って、少しでも何かが見えてくるようにしていく。
その連続が現場なのだから。
むしろ、社会的な流れが上手く行っている時は、
ほとんどの人は本質に向き合おうとしない。

差別とか偏見をなくすべきだと多くの人は思うだろう。
でも、大切なのは気づくこと。
人間はどんな時も思い込みに生きていて、多くのことを見落としているのだから。
そこに気がつかないで、外の世界のせいにばかりしていてはいけない。

全ての混乱の元は人の心の歪み、偏りから生まれている。

場と言うのはそこに向き合って行って、何が問題を生み出しているのか、
しっかりと認識して、その限界を超えて行くことだ。

一言で言うなら場は人を幸せにする。
でもそのためには汚いものにもしっかり触れて行く必要がある。

場においては「場に入る」という状態が必要だ。
それが無ければただ表面を撫で回すだけで終わってしまう。
一生そうしている人だっている。

「入る」ということをしなければ何も始まらない。
そして、もっと言えば「深く入る」ことだ。

そうすれば普段見えていない物事の本質が見えて来る。
歪みや偏りが何処にあるのか、それをどうやって解して行ったら良いのか、
感じとれるようになるだろう。

人の心の中で良いことも悪いことも起きているが、
起きていること自体が問題なのではなくて、そのことへの反応だ問題だ。
全ては変化の中にあるのに、良いもの、悪いものを固定して、
世界や物語を自分で作りあげてしまう。
そこにその人の癖が出て来る。これが偏見の元となっている。

場においては動いている心は変化の中で見ている。
現れているものより、その動きを見ている。
そうでなければ創造性のような心の動きは見極められない。
柔らかく変化するものを動きの中で扱って行く。

様々な抑圧を外して行くと、自由で豊かな動きが戻って来る。
その本来の自由な動きの中からしか良いものは生まれない。

この世界が夢のようなものだと僕が言うのも、
変化と言うものがどのような形をしているのか描くためだ。
人が現実と呼ぶものは自ら作りあげた限界に他ならない。
そのような現実は本当は存在しない。
いつでも解釈して構成して、必死になって作り続けているだけのこと。
自分に限界を作ってそこから出られなくなった人が、
他人にも限界を設定して行く。
個々の形の違う限界同士が争いを起こす。

場から見るなら、はっきりと固定されて、ここまでと言えるような現実は無い。
良いものも悪いものもその場でそのように見えるだけで、
本当にあるのは変化と言うものだけだ。

だから夢のようだと言う訳だ。

場に深く入った時、そこでは行き来する全ての現象が夢として見える。
あるいは幻の中にいるという認識が保たれる。

世界は夢の中で、何の滞りもなく透明に澄み渡っている。

僕達はこの場と言う片隅、あるいは部分の中にいるが、
大きな全体の気配や予感がある。

「居場所」や「安心」は全体への予感からやって来る。

こう言っても良い。
安心は「終わり」からやってくる。

「終わり」は遥か彼方にあって、今ここにある。
深く入るとは瞬間の中で「終わり」を見てしまうこと。

「終わり」は全てを輝かせている。
大丈夫なのだと、どのようなものも瞬間も、
終わりの中で完成されていて、すべては美しいのだと。

世界の全てが一枚の絵のようにはっきりと見えて来る。
それが「終わり」の景色だ。

僕達はそこにいて、再び帰って来て、この場を生きている。
進むことは遡ること。
あらゆる動きは回帰だと言える。

場の中で一つ一つの場面をもう知っていると言う感覚や、
ずっと前に起きたことだな、と言う感覚は、
全体への予感であり、終わりから見た景色だ。

そして、僕達の生きているこの世界も、
僕達の人生も、どこかでもうすでに知っていることなのではないか。

生きることは繰り返しなぞること。
進むことは回帰すること。

この認識を持てた時、僕達は本当に安心して安らかに生きて行くことが出来る。

場が教えてくれたことだ。
荒唐無稽に思える方もいるかも知れないが、
こういう情景が自分を助けてくれることもある、
人を助けることもある、ということをどこかで少しでも思い出してもらいたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。